2024.01.22
写楽の謎
今年になったばかりで気が早いのですが来年の大河ドラマが蔦屋重三郎の物語に決定しました。
知っての通り蔦屋重三郎は喜多川歌麿や東洲斎写楽などの浮世絵師の後見人となった人物です。
東洲斎写楽には謎が多くそのあたりをどう描くのかも注目されます。
蔦屋重三郎が活躍した時代は田沼意次から松平定信の寛政の改革へと移っていく時代と重なります。
寛政の改革では華美なぜいたく品を禁じ、質素倹約を重んじたことから田沼政治の頃に喜多川歌麿らが描いていた美人画も禁止されました。
美人画が禁止されたことで浮世絵の主流は東洲斎写楽らが描く役者絵にシフトしていくことになります。
私的には東洲斎写楽の正体はそのあたりの時代背景にあると思っています。
東洲斎写楽の正体に対する推察には主に
・葛飾北斎や喜多川歌麿ら有名絵師が正体である説
・能役者である斎藤十郎兵衛が正体である説
の2説があり、現在では斎藤十郎兵衛説が有力とされています。
ただし斎藤十郎兵衛説を採った場合、
・なぜ10カ月しか活動しなかったのか?
・デビュー作の28点を頂点として作品が劣化していったのは何故か?
などの説明がつきません。
以下のように考えたほうが自然だと思うのは私だけでしょうか?
美人画を禁止されて仕事に困った喜多川歌麿らが自分の作品として役者絵を出すのを渋り、東洲斎写楽のペンネームで28点を出した。
それ以降、東洲斎写楽として作品を描くことはなかった。
蔦屋重三郎は有名になった東洲斎写楽の名で作品を出せないことをもったいないと考えて別の絵師に東洲斎写楽として描くことを依頼した。
その中に斎藤十郎兵衛が含まれていた。
なによりこのほうがおもしろいと思います。